パルマに一泊
[2009年11月]イタリアの中の小国、サンマリノで幻想的な景色を堪能…
人口: 約60万人
市外局番: 521
ナンバープレート: PR
面積: 260.8平方km
イタリア・エミリアロマーニャ州にある芸術と美食の街、パルマ。
長年ファルネーゼ家の統治の元、パルマ公国として繁栄したこの街には、おしゃれなカフェや、12~16世紀頃の建築物が数多く残っています。
また、世界的に有名なパルメジャーノ(パルメザンチーズ)と生ハムをはじめとした豊かな食文化もこの街の魅力の一つです。
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小さな都市でありながら、芸術・食・音楽など様々な面で魅力をそなえるパルマ。
現在は破産して消滅してしまいましたが、かつての強豪サッカーチームで元日本代表の中田選手が在籍した「パルマFC」の本拠もこの街です。
前述したように、パルマの中心部はとても小さいので、十分歩いて観光スポットを回ることができるでしょう。
パルマ中心部の市庁舎に近い場所にあり、観光スポットが周辺に集まっているため、ガリバルディ広場をパルマ観光の「拠点」とすると良いでしょう。
パルマの人々にとって、単に「広場」といえばこのガリバルディ広場を指すほどに市民に浸透している憩いの場です。
「ガリバルディ」という名前は、19世紀のイタリア統一の際に活躍した軍事家・ジュゼッペ・ガリバルディからつけられたもの。
観光スポットの他に、お土産屋などの店も多いため、お買い物をするにも最適の場所です。
正式名称を「サンタ・マリア・アッスンタ」という12世紀に建築されたパルマを代表する大聖堂。
外観はあっさりしていますが、中はフレスコ画で覆われていて豪華。
中でも、アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョという画家が長年かけて描き上げた中央祭壇にある『聖母被昇天』という天井画は見ものです。
また、地下聖堂や、隣の八角形の洗礼堂も見事です。
パラッツォ・デッラ・ピロッタはイタリアの貴族、ファルネーゼ家の居館として建てられた宮殿です。
敷地内にはヨーロッパ最古の劇場の一つに数えられるファルネーゼ劇場もあり、第二次大戦後の復元ではありますが、17世紀前半に造られた形そのままの美しい木造建築を見ることができます。
パルマゆかりの画家であるコレッジョやパルミジャニーノの作品を所蔵する国立美術館のほか、考古学博物館もあるので、時間をかけて回ってみてはいかがでしょうか。
パルマ市内から20kmほど南にある、15世紀半ばに造られたといわれるトレッキアーラ城。
この地方では保存状態が良い城として知られ、ひっそりとした丘の上で威厳たっぷりの存在感を放っています。
城内には美しいフラスコ画の数々があり、息をのむこと請け合いです。
また、ミュージックビデオなど様々な映像作品の舞台にも使われているので、見覚えがあると思われる方も多いはず。
パルマを訪れたらぜひここまで足をのばしてみることをお勧めします。
パルマがあるエミリア・ロマーニャ州は、アルプスの影響により春や初夏の天気が不安定になりがちです。
夏でも雨が降ることがある地域なので、天気予報をしっかりとチェックしましょう。
基本的に昼間の気温は日本の東京と似ていますが、夜は夏でも気温が低くなり、冬の最低気温も東京と比べると低いです。
冬はしっかりとした防寒対策、夏場は夜に備えてちょっとした上着を用意するといいでしょう。
パルマの歴史を辿ると古くはエルトリアやケルトまで遡ることができますが、都市として形ができたのは紀元前2世紀頃のことです。
ローマ人による植民都市として発展していく際、都市が「丸い盾」の形をしていたことから「パルマ(丸い盾の意)」の名がついたといわれます。
11世紀から14世紀にかけてのルネサンス前期には、現代に残る歴史的な建築物や美術品が次々生み出されていきます。
その間いくつもの都市国家により支配されてきたパルマですが、正式にパルマ公国へと名をかえたのは1545年、ファルネーゼ家出身の教皇パウルス3世が息子に領地としてこの地を与えたのが始まりでした。
およそ200年にわたりパルマを支配していたファルネーゼ家でしたが、1731年男系が断絶したことにより、その権利はスペイン系のブルボン家に渡されました。
19世紀初めのナポレオンによる混乱の後は、ナポレオンの妃であり、オーストリア皇帝の王女であったマリー・ルイーザの支配を受けます。
彼女の尽力により都市が美しく整備されていったのに加え、寛容な統治を行ったため、彼女は今でも「愛される皇妃」として語り継がれています。
そんなマリー皇妃の死後、再びブルボン家の支配を受けますが、1860年サルデーニャ王国に併合され、イタリア王国へ統合されたのです。