人口: 約8,000人

面積: 33.42平方km

ガルニは、アルメニアのコタイク地方にある人口8,000人ほどの小さな町です。

首都エレバンからは30kmほど離れています。

この地域の歴史は長く、紀元前8世紀に、ウラルトゥの王、アルギシュティ1世が征服したという記録があります。

自然に恵まれた環境から、紀元前3世紀にはアザト川が湾曲している部分に要塞が建てられました。

要塞は、当時のアルメニア王家が、軍事的に利用しただけでなく、避暑地としても使ったといわれています。

一国の王の重要な拠点となったことで、要塞はみるみる拡張され、数々の新しい建物が建造されていきます。

王室が住むための宮殿浴場、そして最も有名な、ミトラ神を祀ったガルニ神殿などがその例です。

これらの建築物を全て建てるのには当然、膨大な資金が必要なわけですが、当時の王ティリダテス1世が66年にローマに訪れた際、かの有名なローマの皇帝ネロに出会い、お金を援助してもらったという逸話があるそうです。

建築には、ギリシャのパルテノン神殿と同じイオニア式と呼ばれる様式が導入されています。

当時、アルメニアはギリシャやローマの影響を色濃く受けたと言われますが、アルメニアだけでなく、コーカサス地方全体の中で、ヘレニズム建築の建物が残っているのはここだけです。

ただ、他のヘレニズム建築と異なり、神殿の上部は玄武岩のベースの上に建てられた24本の円柱に支えられています。

神殿の周囲3方は崖となっていますが、そこから見えるガルニの美しい自然はまさに圧巻です。

また、オリジナルの要塞跡の近くにある浴場の跡には、ギリシャ神話の神々の姿が施された美しいモザイク画のタイルが残されており、こちらもまた必見。

驚くことに、これらのモザイク画はすべてたった15色ほどの天然石で作られているとか。

残念ながら、1679年に起きた大地震によって、ガルニ神殿は崩壊。

不幸中の幸いと言えるのは、ガルニ神殿の場合、倒壊した石材が他の建物に使われることなくすべて保存されていたため、1949年から1979年の間に、元の素材を使用して再建することができました。

一方、要塞内の他の教会や主教の宮殿は、残念ながら再建は叶わず、現在は遺跡として姿を残しています。

遺跡となっている教会は、アルメニアがキリスト教を国教に定めた4世紀の後の7世紀に建てられたものです。

また、要塞の外にも多数見どころがあり、アルメニア文字を考案した神学者で修道士の聖マシュトツを祀った教会や、聖母マリアを祀った教会などで、アルメニアの長い歴史の一端に触れることができるでしょう。

ガルニ神殿から数キロの所にあるHavus Tarと呼ばれる修道院も、今は遺跡となっていますが、赤と黒のレンガがまるでチェック柄のように並んでいて、非常に趣があります。

記事

ガルニ神殿の歌声

[2005年秋]アルメニアのエレバン郊外にあるガルニ神殿はお決まりの観…