【2020年8月】2年前にイタリアのサルディニア島にあるアルゲーロに来た時に、町の歴史やエピソードを知りたくて、ウォーキングツアーを探したのですが、見つからなかった記憶があります。
代わりに、トレニーノ(列車型の観光バス)に乗ってガッカリした覚えも。
ところが今回は、泊っているエアビーアンドビーを通して、ウォーキングツアーが紹介されていましたので飛びつきました。
東欧を中心にたくさんある「無料の」ではありませんでしたが(1人€20)。
グループツアーなのかと思っていたら、私達だけのプライベートツアーでした。
案内してくれたのは、サブリーナという32歳の女性。
研修中だというお弟子さんも一緒に歩きました。
この二人、雰囲気も体型もよく似ていて、混同しそうなほどでしたが、サブリーナはサルディニア島北部の出身、お弟子さんは南部出身でした。
出発は、前回トレニーノに乗り込んだ場所で、港の近くの城壁沿い。
歴史の話から始まります。
8世紀ごろ、サルディニア島が4つの地区に分かれていた際、サラセン人の海賊に支配され、その後、島民がイタリアに支援を求めたそうです。
これに応じて、当時、力があったジェノヴァ共和国がサラセン人を制して、島を統治します。
サルディニア島の旗は、白地に赤い十字のジェノヴァの旗に加え、四方に鉢巻をした黒い頭が描かれていますが、この頭はサラセン人なのですって。
鉢巻ではなく、目隠しで、4つの地区のサラセン人を制覇したことを示している、つまり、サラセン人を捕えて殺したという意味なのだそうです。
あまりに暗いイメージなので、近ごろは、サラセン人の頭に目を描いて、「サラセン人がイタリアを見ている図」ということになっているという話でした。
これは驚き。
私は勝手に、サルディニア島の独立を求めて戦う闘士の図だろうと思い込んでいましたから。
サルディニア島のすぐ北のコルシカ島(フランス)の旗にも、同じ黒い頭が描かれていますが、きっと同じような意味合いなのでしょうね。
島の統治は、14世紀にジェノヴァからスペインのアラゴン王国に変わります。
アラゴンといえば、去年行ったサラゴサがその中心だった記憶がありましたが、アルゲーロを支配したのは、アラゴン・カタルーニャ連合王国のカタルーニャの色合いが強かったようです。
この王国は、カタルーニャ人を呼び寄せて、従来のアルゲーロの人々を町から追い出したそうです。
18世紀に、イタリアのピエモンテ州のサヴォイア家の手に渡ったのですが、アルゲーロの住民はそういうわけで、もともとはカタルーニャ人なわけですから、ここではカタルーニャ語が話されていたとのこと。
それで、今も旧市街の通りの名前は、イタリア語とカタルーニャ語の併記となっています。
サブリーナによると、アルゲーロには今でもカタルーニャ語で話す人がいるそうです。
でも減ってきているので、無料で若者に教えているという話でした。
言葉に関して言うと、これとは別に、オリジナルのサルディニア語というのがあり、サブリーナは祖父母とはサルディニア語で話すのだそうです。
彼女の両親の世代は、サルディニア語を話すのが恥ずかしいという風潮の中で育ったため、イタリア語オンリーだそうですが。
その昔、アルメニアに行った時のガイドさんも、話す相手によって言語を変えると言っていたのを思い出しました。
サルディニア島では今でも、中央部の山岳地帯では、サルディニア語しか話さず、民族衣装を着ている人々がいるのだそうです。