【1999年5月】イランの遊牧民、シャーサヴァーンの人達に会った日は、トルコ国境にもほど近いタブリーズに宿泊しました。
ここも名だたる絨毯の産地で、本当はバザールに行きたかったのですが、翌朝は頭痛のため、いろいろ注文を付けずに、ツアーに組まれてあったアゼルバイジャン博物館とブルー・モスクにすごすごついて行きました。
この地方は東アゼルバイジャン州と呼ばれるそうで、人々の大半がアゼルバイジャン人。
話す言葉もトルコ系アゼリ語が主流だとか。
なので、アゼルバイジャン博物館といっても、イラン国内のこの地方から出土した歴史的遺物が展示されています。
何しろ私の興味は絨毯に偏っていますので、ここでは盛り上がることなく、次のブルー・モスクへ。
「ブルー」というのは名ばかりで、ぱっと見には土色のモスクでした。
確かに残っているタイルを見ると、昔は青かったようですが。
これは15世紀半ばに建てられてたもので、なぜ土色に見えるかというと、1779年の大地震でかなり破損したからなのだそうです。
タブリーズはそれだけで、次の目的地であるマラーゲへ向かいました。
タブリーズから南に130キロほど下ったところにある町です。
マラーゲについては、なぜか、ガイドのハリルと運転手のアリが口をそろえて「何もなくてつまらない」と言いました。
といっても、旅程に組まれているわけですからー。
着いた町ではまず、ホテルのレストランでランチ。
またもケバブの一種ですが、野菜巻き羊肉をグリルしたもので、これまでの食事の中ではぴか一でした。
物静かで真面目そうなウエイターがハリル達にレシピを教えていました。
このレストランでは、後から来た一群が先に食事を給仕されていて、「え?」と思いましたが、聞いたら、この辺りの議員さん達なのだそうです。
食後、彼らと少しばかり交流。
ハリルは道路標示の不備を訴えていました。
議員さんの一人は東京・渋谷に行ったことがあると言っていました。
その後、青い目をした若者を車に乗せて、数か所、観光。
というのも、ハリルもこの地方には不慣れで、言葉も異なるので、ガイド役を果たせないからです。
まあ、確かに、これと言って心に残るような遺跡があるわけではありませんでしたが。
ある所で、庭師のおじさんが、連れに薔薇の花をくれました。
他人同士の男女が交流しにくい土地柄なので、連れを通して、私に薔薇をくれたかったのか、それとも連れ本人が気に入られたのか、そこのところは明らかではありませんでしたが。
その付近で、学生たちに取り囲まれました。
イランの若者もサッカーが好きなようで、拙い英語で、数日前の試合でマンチェスターユナイテッドが勝った話をしたり、私が日本人だと分かると、「ナカタ」の名を繰り返していました。
残念ながら、私はサッカーには興味が薄いので、それ以上、発展しませんでしたが、こういったちょっとした交流は遺跡よりも心に残ります。
その後に行ったこの町の金曜モスク(町一番のモスク)には、広い空間一面に美しい絨毯が敷き詰められていました。
一つ持って帰りたかったほど。
このモスクの脇に座っていたお爺さんが、ロシア語で話しかけてきました。
何でも、サンクトペテルブルクがレニングラードだった頃に留学していたらしかったです。
私の語学力不足で、これまた話が発展せず残念でした。
その後、マラーゲを出て、さらに南下。
砂漠っぽい景色の中に、緑が増えたり減ったり。
高原の景色は、前日ほどでないにしても、雄大で気持ち良かったです。
もうクルド人のエリアに入ったらしく、人々の服装に変化が見られました。
男はスカーフをターバンのように頭に巻き、女はサルワール(幅広のズボン)姿。
羊飼いの男は太陽と埃で、まっ黒でした。