【2017年11月】イタリア中部のアブルッツォ州の町、キエティの大聖堂は、サン・ジュスティーノ広場に面して建っていて、堂々としています。
9世紀に建てられた後、13世紀に建てなおされたといいますが、広場から見て右側にあるクリプトが一番古く、この教会で祀られている聖ジュスティーノの骨壺もここにあるそうです。
クリプトとは、地下聖堂のことですけれど、ここのは地下ではなく、むしろ階段を上った先でした。
きっと何か謂れがあるのでしょう。
私達が行ったときには、ミサの最中だったので、しばらく外で待っていました。
私達が待っていたのは、ミサの終了だけでなく、午前中会ったルイジさんという銀行の重役さん。
というのも、実は彼がArcionfraternita del Sacro Monte dei Morti という16世紀から続く宗教的な結社に属していて、そのメンバーだけが入れる特別室に案内してくれることになっていたのです。
ミサが執り行われていたクリプトは、煉瓦造りのあっさりした空間で、私達はそこをさっさと通り過ぎ、奥の扉の前に立ちました。
ルイジさんが鍵を開け、灯を付けると、何と中は絢爛豪華。
クリプトの他の部分とは雲泥の差です。
ルイジさんが特別に呼んでくれた案内人のマルコさんもやってきて、説明を始めました。
この部屋は、結社の人だけのチャペルで、天井に彼らのシンボルである王冠と十字架と骸骨の絵が描かれています。
2000年に祭壇部分を修復した際、正面の絵画の裏側に紀元400年頃に描かれた聖母マリアとキリストの絵が発見されたそうで、それも見せてもらいました。
マルコさんが言うには、「あんまり美しい絵でなかったために、別の絵で隠されたのでしょう」。
今はあっさりしているクリプトのほかの部分も、昔はこの部屋のように装飾がなされていたといいます。
1970年代に、当時の役所の文化担当役員が、昔の姿を取り戻すという意図のもと、すべてを取り壊してしまったのだとか。
その人は施されていた装飾が1800年代のものと信じていたそうですが、実は1600年代のもので、それが分かった時にはもう、遅かったという話でした。
結社のメンバーだけの特別チャペルの隣に会議室があって、その棚にこの結社が所有する土地の記録などの17世紀の古文書が保管されており、一部を見せてもらいました。
キエティの重要なお祭りは、復活祭の前の聖金曜日に開催される行列で、この結社の人々500人とその支部の人々が町を練り歩くのだそうです。
その写真も部屋にありました。
皆、米国のクー・クラックス・クランを思い出させるような、顔を隠した尖がり帽子を被っています。
これは「完全な懺悔の前に、個人を捨てる」という意味だとか。
この行列で担ぎ出されるマリア像に服を着せるという一種の儀式があり、その役は名士家族の女性が代々やっているという話でした。
音楽隊も行進するそうで、私達の通訳さんの親族で、結社のメンバーでない人もかり出されたことがあると言っていました。
どんな音楽を奏でるのでしょう。
この行列、一度、見てみたいものです。
帰りは、大聖堂のクリプトに入った時とは異なる長い階段を降りて、外に出ました。
何か、しばらく迷い込んでいた不思議の世界から、現実に舞い戻ったような気がしました。