【1996年8月】中国の石林で充実した日を過ごした翌朝、昆明へ戻りました。
この時にもサニ族の人々の親切で助かりました。
というのも石林の国立公園のバス停に行ったものの、バスは運行されておらず、たまたまそこにいた前日のサニ族の女性の一人が、「馬車で町へ出て、そこからミニバスに乗りなさい」と手振り身振りで教えてくれたのです。
馬車を運行していた人もサニ族の女性で、彼女は日本語を話しました。
街角で少し待ってミニバスが来ると、馬車のおばさんが飛んできて、値段を聞いて訳してくれました。
結局、馬車が二人で5元(当時、1元=約13円)、バスが一人15元でした。
バスは観光用でなく、人々の通勤バス。
満員の中、サニ族の衣装の人々もいました。
さて、昆明では、今度は茶花賓館に泊まりました。
一泊220元で、スタッフの感じが良く、快適です。
ホテルのレセプションで昆明観光のツアーを申し込みました(40元)。
ツアーは翌朝の早い時間からスタート。
まずは朝食用のヌードル屋に停まりました。
私達も朝食は食べていませんでしたが、朝からラーメンの類を食べる気にはなれず、周囲を見物しながら待っていました。
この辺では、昔の日本のように、人々が赤ん坊を負ぶっていますが、日本と違って赤ん坊の脚がおんぶ紐の下からぶら下がっています。
おんぶ紐には刺繍が施されていて可愛らしいのですが、これをよく労働者風の男性が負ぶっているのが特徴。
写真が撮れずに残念な思いをしました。
この日は残念ながら、雨。
その中を、目的地の目玉の一つ、筇竹寺へ。
何体あるとも知れない妙にリアリスティックな僧の像が特徴のお寺です。
表情豊かな像がいろいろなポーズで並んでいて、今にも動き出しそう。
天気が悪いせいで部屋の中が暗く、その中にこれが幾重にもずらーっと並んでいる様子は、浅草の花屋敷のお化け屋敷より怖かったです。
次に連れて行かれたのは漢方薬のクリニック。
医者だという人が現れて、一人一人の脈をとり、診断を下します。
私は「血流が悪く、血圧が低い」と言われ、説得力を持って二種類の薬を勧められましたが、200~300元と高いので断り、代わりに30元で上半身のマッサージをしてもらいました。
次のランチが、このツアーのハイライト。
我々だけではまず入らないような簡素なレストランで、ツアー客皆に運転手も一緒に丸テーブルを囲みました。
名前はわかりませんでしたが、ここは回教の食堂だそうです。
ツアー客は、私達のほか、マレーシアから来た中国人一家4人と北京からだという地味な男性一人。
一家の長である太っ腹(文字通り)のおじさんが、一人で料理を注文しました。
野菜炒めとご飯が出て、「これだけ?」とキツネにつままれた思いをした瞬間の後、次々にいろいろな料理が出てきました。
美味しかったのは羊の舌のトマトソース煮。
それから、おじさんの息子で米国に留学した人が「チキンスープ」と訳してくれたモノ。
スープの味は良いのですが、具をつがれて息を呑みました。
チキンの皮つきの足だか何だか、黒っぽくて原形をとどめた物が入っています。
「黒いチキンはすごく良いんだ。マレーシアではとても高い」と盛んに勧めてくれました。
様々な料理を合計して300元だったのですが、そのうちの188元がこのスープだったらしいです。
マレーシア人のおじさんは中国の化学工業関連企業に投資をしているお金持ちだとかで、ランチは彼がご馳走してくれました。
その後、訪れた黒龍宮や金殿の入場料も彼が買ってくれ、彼らのゲストになったような感じ。
雨が上がらず、途中で皆して、中国人が自転車に乗る時にすっぽり被るレインコート(25元)を買いました。
色とりどりのレインコートに身を包んで寺の中を歩いている様子が何とも、滑稽でした。
最後になって、北京からの一人参加の男性と話す機会がありました。
最初は外国人観光客を監視している当局の人かと警戒していたのでしたが、実はエンジニアで、昆明に出張に来ていて、一日だけ観光をしているとのこと。
単にシャイなタイプで、無口だったようで、話すととてもフレンドリー。
名刺をくれて、「北京に来る際には是非、連絡してください」と言われました。
そういうわけで、雨に降られて一時はがっかりしていたツアーでしたが、とても面白いものとなりました。