この日、午後には前日のガイド、ミロスラーヴァに再会し、観光を続けました。
彼女と待ち合せたのは、キエフ大学の前。
この大学、二万人が学んでいる同国の高等教育の最高峰ですが、色が真っ赤。
公式な説明は他にあるようですが、ミロスラーヴァによると、本当は赤茶ぐらいの落ち着いた色にしたかったところ、色の配合を間違えてこうなったらしい、とのこと。
おかげで印象に残りました。
この大学にしろ、前夜に行ったオペラ劇場にしろ、正式にはタラス・シェフチェンコの名が付いています。
19世紀の詩人であるシェフチェンコは、ウクライナ語で詩を書いた人で、「彼の詩と、それ以前では全く違う」(ミロスラーヴァ)のだそうです。
大学のお向かいの公園に、彼の像が立っていました。
ここから歩いて、青空に黄色が映える聖ヴォロディ―ミル大聖堂へ。
この外観は前回のキエフ旅行の際に見た覚えがありました。
聖ヴォロディ―ミルはキエフ公国を988年にキリスト教国とした人だそうです。
なかなか覚えにくい名前だと私が指摘したら、ミロスラーヴァがロシア語でいうウラジーミルのウクライナ語だと教えてくれました。
この教会は1862年に建て始められましたが、1866年に建設がストップ。
設計のミスで、壁や屋根にひびが入っているのが見つかったからだそうで、設計した建築家は、これを苦に病となり、精神病院で亡くなったそうです。
建設が再開されたのは1875年のことで、1882年になって外郭が完成。
横の長さが29・85メートル、縦が54・93メートル、高さが48・99メートルあるそうで、キエフの中でも最大級だとのことです。
その後、2年を費やす予定だった内装に11年かかり、予算を大幅にオーバーした末、1896年にようやく完成したのだそうです。
この内装、延べ96人の画家が11年かけたというだけあって、素晴らしい出来です。
教会内には、美術館かと思うような素晴らしい絵画がたくさんあります。
この時期の絵画の特徴なのでしょうか、いずれも黒目勝ちの美しい顔をした天使や聖人たちが描かれていました。
残念ながら、教会内は撮影厳禁だったので、博物館のカタログのような立派な冊子を買いました。
この天使の写真は、冊子を写したものです。