【2022年1月】その日の午後4時からは、ポルトガルのポルトの名所の一つであるボルサ宮殿を見学しました。
ここは、ふらっと訪れて見られるスポットではなく、全て、ツアー形式で予約する必要があります。
英語のツアーは限られ、空きがあったのは4時からのものだけでした。
お値段は一人€10。
この回に集まった人たちは全部で15人ほどでした。
待合室ともなっていたパティオからして「おっ」と声が上がる美しさ。
写真撮影は許可されていたので、ここでたくさん写真を撮っていたら、ツアーが始まりました。
このボルサ宮殿のボルサは証券取引所の意味。
なので、宮殿と呼ばれていますが、皇帝や国王が住んだ宮殿ではありません。
商人たちが、マリア2世の許可を得て、火事で廃墟となっていたフランシスコ修道院跡に建てたもので、証券取引所だけでなく、商工会議所としても使われていたポルト商人の殿堂です。
現在、ポルトガルの証券取引所はリスボンのみだそうです。
このボルサ宮殿が建て始められたのは1842年。
出来上がったのは1910年だとのこと。
最初の部屋であったパティオは「紋章の間」とも呼ばれていて、当時、ポルトと取引のあった19か国の紋章が掲げられているそうです。
ネット情報によると、ガイドが参加者の国名を聞いて、紋章を指し示すという余興があるそうですが、私達の回にはありませんでした。
そして、日本の紋章がない代わりに、徳川家の紋章があるという話も帰ってからネットで知りました。
建設に70年近くかけて、手の込んだ作りになっている割には、漆喰をたくさん使っているところが、経済観念が発達した商人らしさか、と思えば、床は南アフリカなどから取り寄せた木材を使った寄木造だったり。
シャンデリアは1500キロもの重さがあり、掃除する時には屈強な男が5人でロープを使って下ろすそうです。
一番の見ものは、最後に通された迎賓室でしょう。
「アラブの間」と呼ばれる細かい装飾が見事な部屋で、すっかりアラビアンナイト調。
この部屋だけで、作るのに18年をかけたのだとか。
なぜアラブ?と疑問が沸くわけですが、この当時、イスラム調の建築様式がリバイバルしていたためだそうです。
こういうところでは、国を問わず、誰しも自撮りをしたくなるものです。
フランス人の男性2人がマスクを外して撮っていたら、ガイドさんにばしっと叱られていました。
それから、中には入れませんでしたが、最後に見た図書室も良い感じでした。
ポルトの観光案内所が薦めただけあって、一見の価値がある素敵な建物でした。