【1996年9月】パキスタン北部の町、ギルギットでの二日目、ホテルでパンケーキの朝食後、このホテルのマネジャーさんとおしゃべり。
理知的な感じの良い人で、この国にはわいろがはびこっていること、ここ北部では地元を代表する国会議員がおらず、開発がなかなか進まないこと、金持ちには道筋があるけれど、政府が腐敗しているので一般人は身動きが取れないことなど、現状の問題を挙げていました。
彼によると、カリマバードでは民間ホテルが次々に建てられているけれど、旅行者は増えるどころか、今年は減少。
もっと計画的に開発しないと、今ようやく保っているバランスが数年後には崩れて悲惨な状態になると危惧していました。
私は前日、ギルギットに着いてから、あまり良い感じを持っていませんでしたが、この人と話したおかげで少し和らいだ気がします。
彼によると、男女が分離された暗い社会のその度合いは、ギルギットはまだ緩やかな方で、ここから南、イスラマバード辺りが厳しいのだそうです。
恐ろしや・・・。
このマネジャーさんの薦めで、「スズキ」をチャーターして、この辺りの名所を巡ることにしました。
「スズキ」というのは本当にスズキ自動車製の、日本のお百姓さんが乗り回しているような軽トラックで、荷台が客席になっている乗り物です。
2時間半ほど借り切って、お値段は300ルピー(当時、1ルピー=約3円)でした。
まず行ったのは、ギルギットの町から6キロぐらい離れたところにあるカルガー磨崖仏という岩壁に掘られたブッダ。
7世紀のものだそうです。
ちなみに、名所と言っても、周りに土産物屋があるでもなく、楚々としています。
それから、川沿いの公園へ。
子供たちがブランコなどで遊んでいて、さすがにここには母親とみられる女性の姿もありました。
それから、前日、ジープで渡った木製のつり橋の近所には、サンスクリットなどが刻まれた岩がごろごろ無造作に転がっている空き地が。
そういえば、歌にもなったガンダーラとは、この辺のことではなかったかな・・。
その後、カラコルムハイウェイの建設中に亡くなった88人の中国人の墓地にも行きました。
管理人がいるはずでしたが、バザールへ行ってしまっていなかったため、壁を乗り越えて敷地内へ。
私達が中国との国境を超えて以来、たどっているカラコルムハイウェイは、もともとシルクロードの一部だったところで、開通したのは1978年。
何しろ険しい渓谷を通っているので、多くの建設労働者が転落して死亡したそうです。
最後には、眺めの良いサリナ・ロッジ付近へ行き、そこで「スズキ」の運転手と分かれました。
だんだん暗くなる道を、とぼとぼ歩いて泊まっていたNorth Inn へ戻ったのですが、この道中では人々がフレンドリーで、カリマバードの時のように、「ハロー」と声をかけて来る人が多かったです。