【2014年9月】リトアニアのクライペダの発展の要は、ダニェ川の河口の不凍港です。
ホテルの窓からも、色とりどりのコンテナーが運ばれているのが見えました。
この港を巡ってドイツとリトアニアが取り合いをした歴史もあるようです。
海側から数えて二つ目の橋を旧市街から渡ってすぐのところに、アルカ(アーチ)と呼ばれるモニュメントがありました。
これは、クライペダがリトアニアになって80年目の2003年に建てられたそうですが、80年前というのは1923年。
実はその後、第二次大戦中は一時、ドイツに併合されています。
ドイツの敗戦が色濃くなると、殆どのドイツ系住民はドイツに逃亡、ソ連軍がクライペダに来たときにはもぬけの殻だったとか。
それからはロシア系、リトアニア系の住民が増え、一時はロシア語を話す人口が大勢を占めたこともあったという話。
そういえば、劇場広場でブースを出していたお婆さんも、ロシア語を話していました。
ダニェ川に停泊していて、町のシンボルともなっている帆船、メリディアナス号は、1948年にフィンランドで造られた船。
航海技術学校で使われた後にレストランになりましたが、その後廃れて荒廃していたところを、町の弁護士が1リタス(40円ほど)で買い取り、改装して、現在の立派な姿を見せているそうです。