【2021年9月】イタリアのフィレンツェでの初日、いったんホテルに戻って、夜になってから散歩に出ました。
というのも、午後にもんのすごい暴風雨。
さっきまで日が照っていたのが信じられないように、一天にわかにかき曇り、大量の雨が降り出しました。
稲妻もすごい勢いです。
どのくらい続いたでしょうか、しばらくするとまた平和な景色が戻っていました。
眺めの良い私達の部屋から、夕焼けを背景にしたベッキオ橋の姿が美しく見えました。
で、暗くなってから外に出て、ホテルの脇の通りの名前を見て、夫が「あれ、この通りはー」と反応。
via dei Georgofili という通りです。
何でも、マフィアが爆破した通りとして有名なのだそうです。
少し行くと、そのことを書いた碑がありました。
1993年初め、当時のシチリア島のマフィア、コーザ・ノストラのボス、サルヴァトーレ・リイナが逮捕された後、すでに逮捕されていたマフィアのメンバーが情報提供者に転じるのを阻止する目的で、マフィアがテロ活動を激化させたそうで、この通りの爆破もその一環だそうです。
同年5月のvia dei Georgofiliのテロでは、若い家族4人と学生の計5人が殺され、33人が負傷したとのこと。
この通りは有名なウフィッツィ美術館のすぐ脇で、美術館の爆破が目的だったとも言われているそうです。
この前後、マフィアと当局は戦争状態にあったといいます。
マフィアに対して強硬姿勢を取り、国民の多大な支持を得ていた二人の検察官が92年、リイナの命によって殺害されたのを受けて、国民の怒りが沸騰していたそうです。
このリイナという人、「ちびのトト(サルヴァトーレの略)」と呼ばれたほど小さい男でしたが、これまでのボスにないほどの強大な力を持っていたようです。
女性や子供、一般市民は殺さないというマフィアの不文律を破ったのもこの人だったらしいです。
略歴をみると、身近な部下をも疑って殺したという話で、読みながら独裁者スターリンを思い出しました。
このリイナは結局、2017年に獄中で死んだそうです。
via dei Georgofiliには、このテロで亡くなった人々を追悼した「平和の樹」という彫刻が立っていました。
これは今年、設置されたものだそうです。
さて、ここを過ぎてしばらく行くと、若い人たちが列をなしている通りに出ました。
どうも、ハムをはさんだパニーノを買うための列のようです。
きっと抜群に美味しいのでしょうね。
エディンバラでしたように、フィレンツェにも1か月ぐらい滞在して、こういった店も試してみたいものだと夫と話したことでした。
さらに進むと、懐かしいサンタ・クローチェ教会がライトアップされているのが見えました。
今回の旅行では、この教会の中には入らなかったのですが、過去には必ずと言ってよいほどここに立ち寄り、奥にある元修道院を改造したレザー・スクールでお買い物をしたものです。
サンタ・クローチェ教会は旧市街の中心の東方にあり、ここからさらに東は未知の世界だったので、夜歩くのは避け、迷いながら中心の方へ戻りました。
そしてホテルの屋上テラスでカクテルを飲んで、フィレンツェでの初日が終わったのでした。