人口: 37.91万人

市外局番: 055

ナンバープレート: FI

面積: 102.4平方km

トスカーナの丘に囲まれる”花の都”フィレンツェは、かつてのフィレンツェ共和国、トスカーナ大公国の首都として知られています。

古代ローマ時代、花の女神フローラの住む町として「フロレンティア」と名付けられたことが名前の由来です。

中世からルネサンス期にかけて、フィレンツェはヨーロッパの中で文化的に重要な中心地であったため、数多くの美術や建築作品が残されています。

現代でもルネサンス時代の華やかな雰囲気が残っており、街全体が「天井のない美術館」と称されるほどの美しさを誇ります。

フィレンツェの観光名所

フィレンツェは、旧市街を中心に多くの芸術スポットが凝縮された街歩きに最適な観光都市です。

街に流れる美しいアルノ川の両岸に、寺院・教会や美術館などの観光スポットが多く点在しています。

中でもルネサンスを開花させたメディチ家ゆかりの文化や建物が多いので、フィレンツェに赴く前にメディチ家について書かれた本を読めば、より楽しく観光ができるかもしれません。

ミケランジェロ広場

アルノ川南岸の小高い丘の上にあるミケランジェロ広場。

フィレンツェの美しい街並みを一望できる絶好の写真スポットとして、昼夜を問わず観光客でにぎわう人気の観光地です。

広場の中心には、「ミケランジェロ記念碑」が建ち、ダビデ像のレプリカが置かれています。

フィレンツェの街から徒歩30分ほどで行けますが、上り道がつらいという向きには、バスに乗って行くことをおすすめします。

ドゥオーモ

高さ106mのクーポラが目印のドゥオーモ(正式名称:サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)はまさにフィレンツェの街のシンボル

1296年から約140年の歳月をかけて完成した、世界最大の石積建築の大聖堂です。

外観の美しさもさることながら、クーポラ内のフレスコ画もまた、多くの芸術家により描かれた傑作です。

また、463段の階段を登ってクーポラの頂上まで行くことができ、前述したミケランジェロ広場とはまた違う視点で、フィレンツェの町を一望することができます。

ウフィツィ美術館

フィレンツェに訪れたら、必ず見学したい名所の一つがウフィツィ美術館。

壮麗なルネッサンス様式の宮殿内にあるこの美術館は、ボッティチェリの「春」、「ヴィーナスの誕生」など、巨匠たちによる名画が目白押しです。

展示作品は2500点とも言われており、十分時間に余裕をもって見学したいところです。

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

1360年に完成したドメニコ派の教会。

教会前の広場には花壇が広がっており、華やかです。

フィレンツェ中央駅のすぐ近所に建ち、絵本に出てくるようなメルヘンチックな外観の教会なので見間違うことはまずないでしょう。

寄木細工のようなファザードに加え、内部にはフレスコ画やステンドグラスなど、どこを取っても写真写りが良い美しい教会です。

フィレンツェの気候

フィレンツェの気候は、夏場は比較的乾燥し気温が高く、冬場は湿度が高めであるため、典型的な地中海気候として知られています。

最高気温は1年を通じて日本と同じ程度ですが、最低気温は夏場が東京より5度ほど低く、冬場は同じくらいです。

フィレンツェはイタリアの内陸にあるため、同じトスカーナ地方の沿岸部と比べると夏の気温が高くなるため注意が必要です。

フィレンツェの歴史

フィレンツェの歴史を探ると、エルトリア人が町を建設した紀元前10世紀にまで遡ります。

しかし本格的な都市建設は、紀元前59年、当時の古代ローマ帝国によって占領された後で、植民地として建設されたのが始まりです。

ローマの植民地としてスタートしたフィレンツェはその後、ゴート族に侵入されたり、ビザンチン帝国により制圧されたりと、苦難の時代が続きます。

9世紀初頭のカール大帝による統治で町は安定し、その後、フィレンツェはローマ帝国に反旗を翻すまでに成長、国としての自由を獲得しました。

独立してからは毛織物業を中心とする製造業と金融業で莫大な富を得て、15世紀のルネサンスの黄金時代には、その中心地として栄えます。

ルネサンス文化を先導したフィレンツェの有力一族、メディチ家は一時は国を支配するまでの力を得ますが、最後の大公ジャン・ガストーネの死後、同一族のトスカーナ支配は終焉を迎えました。

その後フィレンツェはイタリア王国に合併され、1865年には首都となるものの、わずか6年後に首都はローマに移されました。

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