【1996年9月】中国の国境の村、タシュクルガンに一泊した翌日、バスの出発時間の午前9時に、荷物を乗せたまま、姿を消しました。
長いこと待っている間に、前日は見なかったバックパッカー達が増えたのでびっくり。
もう一本、カシュガルからバスが出た模様です。
おそらく整備をしていたと思われるバスがやっと戻ってきて出発。
タシュクルガン辺りにはタジク人が多いという話で、美しい帽子を被った顔立ちのきれいな女性達を見かけました。
手の込んだ刺繍が施された黒い円筒形のもので、その上からスカーフを被っています。
一つ欲しかったのですが、タシュクルガンは土産物屋があるような村ではありませんでした。
さて、出発して間もなく検問所。
先にカシュガルでも見かけた23人の日本人団体がいました。
普通、団体客のパスポートにはスタンプを押さないのに、客がスタンプを欲しがるので、添乗員が係員にシールなどの小物をプレゼントして頼み込んでいました。
添乗員とは大変な仕事です。
このせいで、私達もかなり待たされました。
よくやくバスの乗り込んでみたら、乗客がかなり減っています。
検問に引っかかった主にウイグル人がたくさんいたためです。
人が減った代わりに、車内に荷物は増えました。
パキスタン人が運んでいる荷物で、例えば、毛布が58枚。
さらに、魔法瓶が入っているらしい段ボールが山ほど積み込まれ、バスの窓ガラスを割りました。
弁償するのでしょうか、それとも、このままガラス無しで走り続けるのでしょうか・・・。
ところで、やむを得ず使った検問所のトイレは、もうタイヘン。
斜めに掘られた穴に汚物が満載されていたりします。
覚悟が必要です。
さて、標高4700メートルのクンジュラブ峠に差し掛かりました。
峠ではさすがに停まってくれるかと期待していましたが、やはり、路線バスはズンズン過ぎて行きました。
中国側は牧草地で、ヤクらしい動物も見かけましたが、片面に中国、片面にパキスタンとある標識と「左側通行」というサインがあるポイントを過ぎると、草が減り、ごつごつした黒っぽい岩山の景色になりました。
中国では、車は右側通行でしたが、パキスタンは昔、英国の植民地だったため、左側通行なのです。
下りは坂が急です。
川の水の色が灰色になりました。
パキスタン側の検問所で少し停まったので、写真を撮りました。
ようやく、終点のスストに着きましたが、時計の針を3時間戻したりしたので、何時間バスに揺られたのか定かではありません。
そこからタクシーで、クンジュラブ・ビューホテルへ。
バンガロー形式の宿で、一泊400ルピー(当時、1ルピー=約3円)と中国よりだいぶ安かったです。