【2022年4月】ブルガリア北西部の町、チプロフツィでの2日目、ゲストハウスTorlacite Kashta での朝食には、主人のイリヤが育てているサフランのお茶が付きました。
貴重なのはわかったけれど、それほど美味しいものでもなかったような・・・。
朝食の後、イリヤのお母さんに少しだけ、キリム(平織の織物)の織り方を教わりました。
ものすごい力が要る作業です。
それから、彼女が作った売り物を見せてもらいました。
規定があるようで、1メートル四方で1000レフ(72000円ほど)なのだそうです。
キャッシュしか受け付けないし、お高いので、テーブルセンター程度の小さいのを記念に買おうかな、と思いながら、いったん引き下がりました。
そして、この町の観光名所である博物館へ。
外に出てみたら、前夜のみぞれは止みましたが、高台にうっすら雪が積もっていました。
説明してくれるためにイリヤもついて来てくれたのですが、博物館の館長さんの女性がそこにいて、なんと、彼女はイタリア語がぺらぺら。
敬虔なカトリック信者で、イタリアのヴェローナに暮らしたことのある人でした。
その上、日本にも行ったことがあるそうです。
我々が訪れたのをとても喜んで、記念に、とキリム柄のキーホールダーをくれました。
彼女のおかげと、JICAのおかげで、ブルガリア語、英語、イタリア語、日本語の音声案内がありました。
こんな片田舎の博物館で、なんと奇遇なことかと思った次第。
しかもしっかりした案内で、内容を書き取って置きたいほど。
だいぶ忘れてしまってもったいなかったです。
ざっくり言うと、古代からチプロフツィがいかに重要な町であったかが語られていました。
特にローマ時代には金の産地として栄えたようです。
今でもイリヤが砂金を集めているぐらいですからね。
金だけでなく、ごく最近まで鉱業の町として重要だったようでした。
カトリック教徒なのは、ここの館長さんだけでなく、町全体がカトリックで、正教会の世界とローマとの懸け橋的な役割を果たしていたそうです。
そして、もちろんキリム。
歴史的なキリムが所せましと展示されている大きな部屋があり、うっとり。
その発展の歴史がよくわかりました。
17世紀末ごろの初期のキリムは、天然色の幾何学模様。
その後、鳥の模様などが加わり、色も派手に。
イリヤのお母さんが今、織っているのも鳥の図柄でした。
彼女は模様を自分で考案することはなく、常に伝統柄を織っていると言っていました。
19世紀後半になると、さらに発展して、模様の種類も色も増えたようです。
館長さんによると、現在、キリム織りができるのは高齢の人ばかりで、近く途絶えるのは避けられないだろうとのことでした。
小さい売店に、「チプロフツィのキリム」というハードカバーの本がありました。
どうせ読めないだろうけど、写真がたくさん載っていたら買おうと思って手に取ってみてみたら、なんと、日本語とイタリア語と英語の概要が。
もちろんカラフルな写真もたくさん。
迷うことなく買いました。