【1996年8月】中国の陽朔での二日目、前日の強行サイクリングのおかげで、お尻がひりひり。
普通に腰かけることも、ままなりません。
手のひらも痛くて、頬杖をつくこともできませんでした。
さらに困ったのは目。
砂埃をたくさん入れ込んだらしく、左目が痛くて、周囲のことに集中できずに悲しい思いをしました。
朝食は、前日出会ったスウェーデン人のエリックが紹介してくれた店で、ドーナツと称する四角い揚げパンにイチゴジャムを塗って食べたのですが、これがけっこういけました。
エリック本人も後から来て、中国式の朝食、おかゆと小型の肉まんを食べていました。
すっかり中国に馴染んでいるらしい彼は、お茶の研究をしていて、産地を訪ね歩いているのだそうです。
通常、外国人が入れない村にも招かれて行くと言っていました。
さて、この日はボートトリップです。
興坪を簡体字で書いてシンピンと読む村まで、漓江という川を下ります。
船の持ち主のカップルは、どうやらこの船に住んでいる様子でした。
他の船も同様、皆、観光船兼住居のようでした。
全約3時間の行程で、最初の2時間ほどは、ごく普通の光景で、「あれぇ~」と思ったほど。
それでも川で働く人や、牛の写真をたくさん撮りました。
この船に乗ったのは、我々とエリックのほか、フランス人、ドイツ人、香港人のそれぞれカップルと一人で参加していた女性(この猛暑の中、絹のブラウスに首にスカーフをしたおしゃれさんだったから、フランス人かな)と国際色豊か。
週末だったからか、我々のような観光船のラッシュで、次々にすれ違いました。
ツアーの終わりがけになってようやく、奇岩の群れが現れ、目を見張る光景。
岩が迫ってくるようです。
行き着いた興坪は、外国人観光客に少しは慣れたけれど、だからって生活が変わるわけではない、と開き直っているマイペースの村という印象を受けました。
きっと100年前の日本で使っていたと思われるような道具を使って、人々が薄暗い土間で、のんびりと仕事をしています。
土間というのは間違いかもしれません。
というのは、そういった空間に立派なベッドが置いてあるのも見かけたからです。
人々は、私達が写真を撮っても、我関せず、といった感じ。
簡素なレストランに入ったのですが、そこで、「私は美術の先生です」と日本語や英語、韓国語などで書かれたカードを持ったおじさんが、根気よくTシャツを売りつけました。
Tシャツにはおじさん本人作だというこの辺りの風景の絵が描かれています。
30元(当時1元=約13円)という言い値からして安いと思ったのですが、慣例ですから、23元にまで値切って一枚買いました。
感じの良いおじさんで、日本人の私は「教師がこんなことまでしてーー」とちょっと気の毒に思いました。
このレストランで唯一、英語を話すウエイトレスが「2000年前は、中国人も日本人も同胞だった」と言って、私の肩をぽんぽんとたたきました。
中国ではそう教わるのかな。
帰りはバス(5元)で陽朔に帰りました。