【1999年5月】イラン航空に乗り込む前に、ロンドンのヒースロー空港で、最後のワインを飲みました。
イランでは飲酒は厳禁です。
そして女性は外国人でもスカーフを被り、ズドーンとしたコートを着なければなりません。
ヴィザを取得するための顔写真でさえ、スカーフ着用が決まりです(私の友達に、それを知ってイラン旅行を取りやめた人がいます)。
もちろん、機内でもスカーフは被ったまま。
隣に座った人が英国のマンチェスターでピザ屋をやっているというイラン人で、在英12年。
出身はカスピ海沿岸のアンザリだそうです。
カスピ海といえば、キャビア。
この人は、子供のころ、朝食にキャビアを食べていたとのたまっていました。
そして、なぜイランを旅行先に選んだのかと聞かれ、私が「イランの絨毯が大好きだから」と答えたら、呆れた顔をして、「絨毯なんか、イケアで安く売っているじゃないか」と言いました。
着いたテヘラン空港で、まず100ドルを換金したら、どーっさり札束が来ました。
1ドル=約1995リヤル、1円=約16リヤルというレートでした。
そして最初に学んだのは、ペルシャ文字では「♡」のさかさまが、数字の「5」であることです。
空港の出迎え口はすごい人混み。
その中から、ツアーガイドさんが我々を見つけてくれました。
今回は、ロンドンで事前にアレンジした、ガイドと運転手が全行程、同行してくれる、いわば大名ツアー。
私一人ではなく、旅の連れと一緒です。
ガイドさんは、英国のコルチェスターで英語を学んだというハリルという名前の男性で、女性である私とは握手をしません。
男女間の握手は禁じられているそうで、彼が一度、フランス人の年配女性と握手したら、当局に4時間に渡って聴取されたのだそうです。
連れて行かれたホテルはそこそこ立派で応接間付き。
ちょっとトイレが匂ったのが玉に瑕でしたが。
でも、朝ごはんの時からコートにスカーフを見に付けなければならず、抵抗を感じました。
着いた翌日はテヘラン観光でしたが、最初に行った民族学博物館で、何と、4時間も過ごしました。
何せ、ハリルの説明が詳しくて、しつこくて・・・。
お客のくせに「あ、もういいから」と言えない私も弱虫なのですが。
とはいえ、その昔はシャーの宮殿だったというなかなか良い博物館で、私が興味を持っている遊牧民について、衣装などとても充実していました。
また、建物のデザインは、タイルもさることながら、銀細工がスゴイので驚きました。
壁、天井、ドア・・・と、日本のラブホテルを最高に豪華にしたようなイメージ。
フラッシュ無しなら写真を撮っても良いとハリルが言ったので、カメラを取り出したら、ハリルと係員のお爺さんが激しい言い争いを始めたのでびっくり。
どうも、写真を撮るにはお金を払わなければならなかったらしかったです。
次に行った宝飾博物館は、キラキラと豪華なばかりで、あまり惹かれませんでした。
それから、テヘラン北部の山沿いにあるシャーの夏の宮殿、サーダバード宮殿へ。
緑に囲まれた良い所です。
パフラヴィ―王朝の宮殿で、中は西洋の宮殿のような雰囲気でした。
ここには米国人の団体客もいて、意外でした。
ハリルによると、観光客としては、フランス人やイタリア人が一番多く、たいていは50歳を超えたグループだそうです。