【2019年3月】イングランド南部の歴史的な街、カンタベリーの目玉は何と言っても大聖堂でしょう。
私達が参加したウォーキングツアーのガイドのスージーは「今日は3時15分から礼拝があり、コーラスもあります。これに参加すれば、無料で大聖堂に入れますよ。礼拝は40分程度です」と、お得な情報を何度か繰り返して教えてくれましたが、礼拝中に写真を撮ったりはできないので、私達はチケットを買って入りました。
大聖堂は改装工事中で、内部にも足場があったりする割りには、お値段は£12.50(1800円強)と安くありませんでしたが。
この大聖堂の歴史は長く、西暦597年にローマから来た宣教師が、カンタベリーがあるケント州の当時の王様をキリスト教に改宗させたことに始まります。
宣教師のリーダーだったアウグスティヌスが最初の大司教に任命され、カンタベリーに大司教座が置かれ、以後、現在に至るまで、それが変わっていないそうです。
そんな長い歴史を持つ大聖堂ですから、いろいろとエピソードもあるのでしょうが、一番、劇的なのは、トマス・ベケットの話でしょう。
以下、主にスージーから聞いた話です。
ベケットは12世紀初めに生まれた人で、当時のイングランド王ヘンリー2世と仲良しだったそうで、ベケットはヘンリーの権力拡大に貢献したそうです。
1161年、ベケットはカンタベリー大司教に任命されます。
けれど、そのとたん、ベケットはローマ法王をあがめ、国王をないがしろにし始めました。
ヘンリーとベケットの関係は険悪になり、ベケットは一時、フランスに避難していましたが、1170年に一応の和解が成り立ったためにカンタベリーに戻ってきました。
でも実際の状況は変わらず、結果的にヘンリーはベケットを逮捕するよう命じます。
同年12月29日、大聖堂脇の宮殿にいたベケットは、危険を悟って、大聖堂の中に逃げ込みました。
まさか、神の館である大聖堂内で惨事を行うことはないだろうと考えたためです。
ところが、追っ手は全くひるむことなく大聖堂内に入ってきて、重い剣をベケットの頭の上に振り下ろし、彼をを殺害したのだそうです。
死ぬ直前の最後のベケットの言葉は「キリストの名において教会を守るため、私は死の抱擁に身をゆだねるつもりだ」というものだったとか。
ベケットは死の直後から殉教者とされ、ヘンリー2世も殺害を後悔して、1174年にはカンタベリーを訪れ、自らすすんでベケットの墓で80人の修道士から鞭打ちされたのだそうです。
そして1220年には、大聖堂内にはベケットの聖堂ができ、ここを目指して来る巡礼者が後を絶たなかったという話です。
ところが、それから300年余りたった1536年、イングランド王ヘンリー8世が、自分が離婚したいためにカトリックと袂をわかって英国国教会を始めました(以後、大司教は大主教と呼ばれるらしいです)。
その流れで、ヘンリー8世は1538年、このベケットの聖堂を取り壊してしまったのです。
ヘンリー8世の肖像画は先日、グリニッジでも見ましたが、目が小さくてでぶっとした顔で、かつてのロシアのエリツィン大統領みたいで、なぜこの人が6回も結婚できたのか、不思議でなりません。
現在、聖堂があった場所にはろうそくが灯っていました。
豪華な装飾が多い中、楚々としたその一角は、劇的な史実とともにココロに残りそうです。
その他、広い大聖堂内では、大主教がクリスマスや復活祭など特別なときに使う演台、真ん中のベル・ハリー・タワーの天井、地下聖堂などを見て、回廊に出ました。
回廊の天井には様々な紋章がついているのですが、これは中世のものなのだそうです。
回廊から入れる参事会室もまた、天井が見事。
説明書によると、1400年ごろに出来たもので、オークの木でできているとのこと。
よく見えるよう、鏡がおいてありました。