【2018年3月】アルゼンチンのブエノスアイレスにはラ・ボカ地区というカラフルな家々が連なる地域があります。
前回にも訪れたのですが、今回もやはり行かなくちゃと思って、ウォーキングツアーに参加することにしました。
このウォーキングツアーはほかのと違って無料ではありませんが、料金は一人200ペソ(約890円)ととてもリーズナブルです。
この日は汗ばむほどの陽気で、太陽光線が強く、真っ青な空を背景に、家々の色が前回見たときより、ずっとくっきり。
写真の撮り甲斐がありました。
ツアーはまず、この地区の歴史から。
ボカというのは口の意味で、河口にある港を指すためにこの名が付いたことは前にも学びました。
今回、移民の町として知られるこの地区が出来上がった背景がうまく説明されて、面白かったです。
ガイドさんの名前は忘れてしまったのですが、彼の話によると、アルゼンチンは1800年代後半、早々とアフリカ系の奴隷を「解放」し、彼らを軍隊に入れ、パラグアイとの戦争に従事させたそうです。
黒人はそこで多数、戦死したほか、戦後直後に蔓延した黄熱病で病死し、ブエノスアイレスの町からいなくなったとのこと。
原住民はすでに町から追い出されていましたから、この頃からすでに、ブエノスアイレスは白人だけの町だったということのようです。
そして、この頃、人口減に悩まされたのだそうです。
その対策として、国を挙げて欧州からの移民を促進しました。
やって来たのは、主にイタリア人、スペイン人、ロシア系ユダヤ人、トルコ人と呼ばれたイスラム系の人々で、アルメニア人も「トルコ人」と呼ばれたのだとか。
トルコでの歴史を考えると、アルメニア人には憤懣やるかたないでしょうね。
そして、イタリアの港町、ジェノヴァからの移民が多いのが、このラ・ボカ地区なのだそうです。
黄熱病がはやった際に、裕福な人々は煉瓦造りのちゃんとした家を教会に寄付して他の地域に移住。
教会はそれらを悪い条件で移民たちに貸しましたが、彼らは「こんなところに家賃を払うぐらいなら」と空き地に掘立小屋を建てて暮らし始めたとのこと。
前回の旅行の時にも立ち寄った、狭い路地を囲む一連の家々に200人もが暮らしていたそうで、ここの人々は連帯意識が強いそうです。
例えば、月末の給料日前には、乏しきを分かち合い、皆でニョッキを食べたのだとか。
今もコミュニティ精神は根付いているという話でした。
今、ここはすっかり観光化され、主な家々は外国人が買い取るなどして土産物屋などになっていますが、道を一つ隔てると、当時と大差ない建物に今も暮らしている貧しい人々がいるそうです。
それで、ラ・ボカ地区で観光客が歩いて安全なのは、カミニートという主要な通りなど、ごく一部。
店やレストランは午後5時には閉まるので、夕食を食べられるところはないのだそうです。