【2019年11月】スペインのサラゴサにある巨大な教会、ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂は塔の上に上れます。
上り口は、教会の北西の端にあり、教会内を通って行きます。
幸いエレベーターがあって、料金は一人€3。
着いたところから2階分ぐらいは自力で歩いて上り、最後の部分はらせん階段です。
頂上はガラス窓がある部屋で、外気には当たれず、汚れた窓越しに景色の写真を撮りました。
上から見たサラゴサは、普通の町。
旧市街の一部は、ごちゃごちゃと赤い屋根が連なる部分もありましたが、基本的には、新旧の建物が無秩序に並んでいて、ことさら美しいわけでもありません。
遠くに風力発電機が並んでいるのは見えました。
冷たい強風の町ですから、さぞかしたくさん発電できることでしょう。
下りる途中に、少しだけ外気に当たれる部分があり、そこから緑、黄色、青、白の瓦でひし形の模様が描かれているドームの様子がよく見えました。
この日もかなり寒かったので、塔から降りた後、しばらく教会内のチャペルの一つで一休み。
見てたら、市民が教会の端のドアから入り、別のドアから出ていました。
この巨大な教会を「通り」として使っている様子です。
ここで夫がぼそっと「この宗教のおかげで美術が発展したんだなあ」と言いました。
確かに。
美術だけでなく、社会のいろいろなことが聖書というストーリーを信じる人達の空想力の結果、成り立っているわけですよね。
立証されていないモノが基盤とされていると思うと、ちょっと空恐ろしい気分になりました。
けれど、これも世界の一部でしかありません。
世界の他の部分には、また別のモノを信じる人々がそれぞれの社会を作っているわけですが、でも、結局のところ、どの部分に住む人間も、物の良し悪しを認識する感覚が似ている、あるいは似てきたから、何となく人間社会としてのまとまりがあるのでしょう。
教会内腰かけると、立ち止まることが少ない普段の忙しい生活の中ではまず考えないような、哲学的なことが頭に浮かびます。
ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂を出て、今度はラ・セオと呼ばれるサン・サルバドール大聖堂へ。
ピラール聖堂よりこじんまりしていて、まとまりを感じました。
讃美歌が流れていて良い感じです。
この大聖堂は、12世紀後半からの歴史を持つそうです。
残念ながら、ここも中は写真不可でしたので、こっそりとしか撮れませんでした。
真ん中に聖歌隊席があり、その周りにぐるっと20ぐらいのチャペルが並んでいる形です。
それぞれのチャペルの脇に案内板がありました。
ピラール聖堂もそうでしたが、ここにもアラバスターでできた複雑な彫刻があり、それが主祭壇でした。
1434年に作られたものだそうです。
ところで、ラ・セオに入るには入場料€4が要ります。
これはメンテナンスのためだ、ともらったパンフレットに断り書きがありました。