【1996年9月】黄河が流れる中国の町、蘭州での最終日には、まず、白塔山公園を目指しました。
途中、羽田空港行きのリムジンバスが。
一瞬びっくりしましたが、これはリムジンバスのお古を利用したローカル・バスです。
せめて車体を塗り替えるとか、行先を書き換えるとかすればいいのに。
入場料12元(当時、1元=約13円)払って入った白塔山公園では、奇妙な恐竜展をやってました。
延々と上った山の上からの景色は良かったのですが、頂上では、ひどいカラオケ大会が催されていて、興がそがれました。
頂上から見下ろすと、黄河にかかった中山橋の真上。
ちょっとブダペストを思い出しました。
公園から出ると、観光船の呼び込みにつかまりました。
船には乗ろうと思っていたのでついて行くと、モーターボートです。
一人20元で、観光名所の一つの母子像の辺りまで往復しました。
黄河の流れはけっこう速く、スリル満点。
ライフジャケットのような物を着せられました。
船頭さんとのコミュニケーションはままなりませんでしたが、川からの目線で岸の景色を眺めるのも面白かったです。
さて、この日は午後5時発の列車で蘭州を出発しました。
駅に到着した時、人々がずらーっと並んでいるのに圧倒されましたが、私達は座席指定のある寝台車の「軟臥」の切符を持っていましたので、ゆっくり行って問題ありませんでした。
ただ、切符を買った際、300元だと聞いていたのに、おつりが来たのでちょっと不安。
ガイドブックには、「軟臥は一等車で設備もサービスも良く、乗客は外国人ばかり」とあったのですが、これは当たっていませんでした。
乗客は中国人ばかりで、我々の四人部屋で同室になったのは、中国人のおじさん一人。
検札が来て、私たパスポートを見せるまで、彼は私を中国人と思っていた様子です。
そして、私が日本人と分かると、日本語で話しかけてきたので、驚きました。
彼はツワ・ヨーチンさんという56歳の高級技師で、仕事で蘭州に来て、万里の長城の要衝で彼の故郷の嘉峪関に帰るところだそうです。
彼の日本語を頼りに、少し中国語を習ったり、食物を交換したり、とわずかながら交流しました。
さらに、途中で隣の部屋の夫婦もこちらを覗きに来ました。
彼らは北京のエリートらしく、米国や日本、イタリアなどに行ったことがあるそうで、英語で会話しました。
どうやら、原子力関連の仕事をしているようで、日本では東海発電所で働いたというし、米国では核実験の場であるニューメキシコに行ったと言っていました。
この夫婦は、名もない、おそらく外国人には開放していない町の駅で降りたのですが、そこで10人ほどの人々に迎えられていました。
夜は上の段の寝台で眠りました。
寝具な何となく薄汚くてリラックスできず、ジャケットを被って眠ったり目覚めたり。
汚いと言えば、トイレ。
軟臥のトイレをきれいなはずだったのに、ヒドイもので、それを見て以来、飲食は控えたほどです。
車窓の景色は主に砂漠。
砂漠と言っても草が毛のように、もわもわ生えて羊がいるようなのから、全くの不毛の地までいろいろです。
色もベージュだったり、黒っぽかったり。
ビーチの白砂のような所はありませんでした。
それにしても、長い道のりです。
何しろスピードが遅く、一度駅に停まるとなかなか動きだしません。
動き始める時、停まる時には大きく揺れます。
蘭州を午後5時に出発し、目的地の柳園に着いたのは翌日の午後4時23分。
ほぼ丸一日の旅で、これほど長く同じ列車に乗り続けたことは、後にも先にもありません。