マラガのウォーキングツアー : 大聖堂について

マラガのウォーキングツアー : 大聖堂について

【2018年2月】スペイン南部の町、マラガでのウォーキングツアーの続きです。

大聖堂や司教の館が目の前に迫るオビスポ広場に出ました。

調子の良いガイドのハヴィエルによると、大聖堂が作り始められたのは、スペインが南米に遠征して富を得た16世紀。

豪華なデザインで建設を始めましたが、200年たっても完成しません。

1700年代のスペインはそれほど豊かでなく、町が司教に大聖堂作りの資金を、港の整備など経済に役立つことに回すよう頼み、これが受け入れられたため、建設は中断されました。

このため、二つ作る予定だった塔が一つしかなく、いかにもアンバランスです。

でもすっかりこれに馴染んだ市民は、後に建設再開の話が持ち上がったときに、「是非、このままで」との声を上げたとか。

それで今も大聖堂は「片手の貴婦人という愛称で親しまれているそうです。

ここでハヴィエルは「マラガ市民は愛称をつけるのが好きなんですよ」といい、「港のほうの、ある黒い建物が白く塗り替えられました。さて、愛称は何でしょう?」と謎をかけました。

しばらくの後、確かアイルランドから来たツアー客だったと思いますが、「マイケル・ジャクソン!」と答え、大正解。

ハヴィエルも感心して、ご褒美に飴を進呈していました。

広場から大聖堂の脇に周りました。

ここにはイスラム教徒が支配していた頃の建物が大聖堂の一部分として残っています。

ハヴィエルによると、大聖堂はもともとモスクだったものの上に建てられましたが、一部を元のままに残し、教会のほうがいかに大きいかを誇示したのだそうです。

一方、イスラム教徒が好んだ、庭園を作るというアイデアはそのまま採用し、教会の周りにオレンジの木を植えたとのこと。

スペイン南部にはオレンジの木が山ほどありますが、オレンジはそのまま輸出したりマーマレードにしたりするそうです。

ここで、「マーマレード」の言葉の由来に話が発展しました。

ハヴィエルによると、大航海時代、フランス人がポルトガルやスペインの水平たちは船酔いしないことに気づき、何を食べているか調べたところ、砂糖漬けにしたオレンジを食べてビタミンを補給していたことが判明。

それでフランス語のメール・マラード(船酔い)という言葉がそのまま、オレンジのジャムを意味することになったのだそうです。

ハヴィエルは「ついでに、カンガルーの由来は知ってますか?」。

彼によると、オーストラリアに到着した西欧人が、原住民に「あの動物は何か」と尋ねた際、原住民が「カンガルー」と応えたので付いた名前だそうですが、原住民の言葉でカンガルーは「何を言っているのか、さっぱりわからない」という意味だとか。

それで大笑いしたわけですが、さて、本当でしょうかね。

大聖堂の中にはちらっとだけ入りました。

というのも厳かなミサの最中だったのです。

かなり立派であるのは確かです。

それから、海に向かっている大聖堂の後部には、ガーゴイルの代わりに大砲を模った雨樋が付いています。

これは、英国の海賊が猛威を振るっていた時代に、大砲があるように見せかけ、海賊が近寄らないようにするためだったそうで、効果があったそうです。

今度はここで、オランダからのツアー客が、「それで英国人は代わりにトレモリノス(マラガ近郊の大衆観光地)に押し寄せたのだ」と言って笑わせました。

という具合で、たくさん笑いのあるツアーで、全く退屈しませんでした。