人口: 約15.9万人
市外局番: 544
ナンバープレート: RA
面積: 652.9平方km
イタリア半島のアドリア海側にあり、ヴェネツィアから約144キロ南に位置した古都・ラヴェンナ。
ビザンチン美術が開花した、美しい歴史香る町として知られています。
イタリアの大都市を結ぶメインルートからは多少外れていますが、モザイク画に興味のある人にとってラヴェンナはまさに宝の山。
それほどこの地には最高峰のビザンチン・モザイクが数多く残されているのです。
イタリアの重要観光スポットといえるラヴェンナですが、ヴェネツィアからの所要時間は、電車で3時間と少し長め。
ただ、たどり着いてしまえば、名所の集まる旧市街はコンパクトなので、1日で最低限の見どころを歩いて巡ることができます。
百聞は一見にしかずといいますが、聞きしに勝る素晴らしい『世界遺産指定のモザイク遺跡』の数々が町中にあふれています。
シンプルで一見地味な外観とは裏腹に、内部の壮大な空間に施された光り輝くモザイク装飾が圧巻なサン・ヴィターレ聖堂。
建設されたのは6世紀前半と言われていますが、建設された詳しい理由などは解明されていないままで、未だ謎につつまれているそうです。
ただ確かなのはその圧倒的なモザイク画であり、黄金色をふんだんに使った眩いデザインは、見た人に感動を与えてくれます。
西ローマ帝国の皇帝テオドシウス1世の娘、ガッラ・プラチディアとその一族を葬った霊廟は、サン・ヴィターレ聖堂と同じ敷地に建てられています。
建物の内部に施されたモザイクは、5世紀頃造られたラヴェンナ最古のものといわれています。
その特徴は、ローマ・キリスト教美術の影響を受けた華やかでバラエティに富んだ色調。
花や星などが描かれた天井画を見上げていると、まるで宝石箱の中にいるかのような錯覚に陥ります。
サンタポッリナーレ・ヌオーヴォ教会も起源は古く、建設は6世紀、東ゴート族の王であるテオドリックによって王宮教会として建てられました。
簡素な外観からは想像ができないほどの見事なモザイク作品が施されており、教会の左側に見える東方三賢人のモザイクが有名です。
コリント式と呼ばれる柱の上部の壁の片面には22人の聖女の行列、もう片面には26人の殉教者の行列が整然と描かれていて、圧巻です。
ラヴェンナの大聖堂の近くに位置するネオニアーノ洗礼堂は、5世紀初めに建設された八角形の建造物。
5世紀半ばから後半に、当時の司教ネオーネの命により堂内にモザイク画が描かれたため、その名にちなんでネオニアーノと呼ばれています。
中央のドームにはキリストの洗礼されている様子が描写されており、周りには12使徒が描かれています。
ラヴェンナの気候は、近隣のヴェネツィア同様、穏やかな地中海気候に属します。
そのため、東京と比べると夏はやや涼しくて、天気が良いのが特徴です。
冬の最低気温は東京より高いですが、一方で降水量も上がるので、寒さに対応した服装を用意したいところです。
数々の歴史的建造物を持つラヴェンナですが、その起源については、未だはっきりしたことは分かっていません。
古代エルトリア人が町の原型を作った、はたまたテッサリア人がやってきてからウンブリ人が支配し町を作ったなど、諸説あるようです。
ただ、ラヴェンナの重要性が認識され始めたのはローマ帝国時代、アウグストゥスがここに軍港を設けた頃と言われています。
402年にはホノリウス帝が西ローマ帝国の首都をラヴェンナに移したことで町はみるみる栄えていき、現代に残る華麗なモザイク画が作成されました。
一方、5世紀後半、西ローマ帝国が滅んだのをきっかけに、町は徐々に寂れ、6世紀末からは急速に衰退していきました。
現在のラヴェンナの町に、ルネサンス様式の建物やバロック建築の跡が見られないのは、町が再び重要性を持って栄えることがなかったからです。
ただし、そのおかげで多くの教会が新しい様式に建て替えられることなく、当時のモザイク画がそのまま今も残されているのです。
[2015年2月]イタリアのラヴェンナでのモザイク巡り、最後に行ったの…