出航

出航

【2017年8月】ロシアでのクルーズツアー、サンクトペテルブルクに停泊したまま、二泊したのでしたが、三日目の午後7時にとうとう出航しました。

ネヴァ川の水は、川底の土の色に悪天候による薄暗さが加わり、まっ黒。

辺りの景色もすべて灰色です。

前日のガイドのレフによると、サンクトペテルブルクは晴れの日が年間、60-70日しかなく、うつ病患者が多く、自殺も後を絶たないのだそうです。

地質も湿地帯で良くありません。

そんな悪条件が重なっているこの土地にピョートル大帝が新しい町を建てたのは、ひとえに欧州に近いという地理的条件が決め手だったといいます。

ロシアの二大都市であるモスクワとサンクトペテルブルクを比べたときに、私はサンクトペテルブルクの方が華やかで洗練されているイメージを持っていたのですが、レフによると、もしモスクワからサンクトペテルブルクへの転勤が決まったら、それは左遷に他ならないのだとのことでした。

灰色な景色もそれなりに美しいなあと、流れていくサンクトペテルブルクを眺めた後、7時15分から船長など乗組員を紹介するちょっとしたカクテルパーティがありました。

船には専属の医師やミュージシャンなどを含め、64人の乗組員がいるという話でした。

そのごく一部しか見ませんでしたけど。

サンクトペテルブルクからモスクワへの旅なので、川下りではなく、川上り。

18の水門で、主に水位をあげて(うち三か所では下がりましたが)先へ進みました。

川と言いましたが、川だけでなく湖や運河も通りました。

例えば、航行の初日の晩、午後10時半過ぎには、ネヴァ川から欧州一大きい湖であるラドガ湖に入りました。

この入口では、世界遺産となっている14世紀前半に建てられたシュリッセリブルクのオレシェク要塞が見られるということだったので、甲板に出てみてみました。

要塞は、船からの灯で、真っ暗な中にぼうっと浮かび上がりました。

ラドガ湖は、そのサイズの大きさだけでなく、第二次大戦中のレニングラード攻防戦の際、包囲されている市内へ食料を供給する唯一の道筋だったことでも有名です。

私達の船は、そのラドガ湖の南端を横切っただけだったので、翌朝目覚めたら、すでにスヴィリ川に入っていました。

緑の河畔には色とりどりの木造家屋が見られ、ノルウェーのフィヨルド沿いの風景を思い出しました。

この日は午前中、航行を続けている間、私達はロシア語と歌のレッスンを受けました。

船ではいろいろなイベントがあります

ロシアの農村のダンスも学びましたし、ツアーリーダーによるロシアにまつわる講義もありました。

歌やダンスは学ぶだけでなく、旅の後半にあった「タレントショー」で皆に披露。

「ロシアの夕べ」の日には、私達はロンドンから準備していったサラファンとルバーシカを着て臨みました。

音楽会も何度かありましたし、退屈する暇は全くありませんでした。