
【2025年12月】モロッコのマラケシュでも、現地のガイドが付きました。
二日目は、このガイド付きツアーです。

時刻通りにリヤドに来て待っていたのは、鳥打帽を被った背の高いユスフという人でした。
イスラム圏もイタリアと同様、名前に限りがあるようで、彼は運転手と同名です。
このユスフはとてもフレンドリーで、それがちょっと行き過ぎな感じもあったので、最初は、これはチャラ男か、と思ったのでしたが、少ししたら、そうでないことがわかってきました。
案内はすべて徒歩で、歩きながら、いろいろ面白いことを学びました。
まずは現在のマラケシュの成り立ち。
旧市街であるメディナと、その外の新市街、さらに郊外の高級住宅街の3層になっているそうです。

郊外では、メディナに観光資源を買った欧州人が豪邸に住んでいるのだと言っていました。
言葉の端に、多少、やっかみが混ざっていたようなーー。
それからカスバの近くのユダヤ人街、Mellahの話。
ユダヤ人は6世紀の昔から住み着いていましたが、1492年のレコンキスタを受けて、新たにスペインから渡って来た人々が、混ざるのを好まず、ユダヤ人街を築いたそうです。
この時モロッコは、税収入増を歓迎して、ユダヤ人たちを喜んで迎え入れたとのこと。
さらに、1940年代にナチス政権から逃れて来たユダヤ人がいたそうです。

でもフェズで学んだ通り、その後のイスラエル建国で、皆去って行ったとのこと。
今また、ツーリストとして彼らがやってくるので、ユダヤ人街が修復されたという話でした。
稼働しているシナゴーグにも案内されました。
入りませんでしたが。
ユスフは、ユダヤ人街に入る手前にあった染料の店で、岩塩が売られていたのを指して、「昔はこの岩塩がお金代わりで、金と1対1で取引されていた」と言っていました。
メディナにはところどころにキャラバンサライ跡があります。
マラケシュは交易の要所として栄えたのだそうで、取引の相手は主に、トンブクトゥ(現在のマリ共和国の一部)だったそうです。
それから、ユダヤ人街の隣には、ムーア人街があったとのこと。

ムーア人とは、8世紀ごろにイベリア半島に渡って一世を風靡したイスラム教徒たちを指します。
彼らもやはり、レコンキスタでマラケシュにやって来て、一区画を築いたのだそうです。
ところでマラケシュは、この土地の赤土で作った家が並ぶ「赤い街」です。
ユスフによると、世界遺産に指定されたため、違う色を使うわけにいかなくなったのだとか。
それで、コンクリートの建物も、他と合わせて、赤っぽいピンク色に塗っているという話でした。